November 28, 2006

ひさしぶりに500m泳ぐ。タイプの人が電車の中にいた

朝 パン、レタス、ハム、メープルシロップ/コーヒー
昼 いろいろ野菜のミートクリームソースのパスタ、スープ、パン/コーヒー
夜 韓国風つくね、水餃子、春雨の中華風炒め物、アジア風ピーナッツ入りキュウリのサラダ、海苔の佃煮、手製のふりかけ、ごはん/日本酒

霧雨、曇り

8時起床。事務所についてメールでの連絡をいろいろやって、『談』no.76の見積もりづくり。
中沢新一さんの『三位一体モデル』のブックレビューのためにもう一度きちっと読み直す。中沢さん本人がいってるように、たしかに曖昧な言い方があったり論理の飛躍があったりする。しかし、それをライブ感覚を活かすためにそのままにした、というのはどうでしよう。わずか50枚前後の原稿量だし。ブックレビューを書き始めたけれど、結局途中でやめる。
帰りに、タワーへ。Yamandu Costaを探しにワールドミュージックのフロアへ上がると、彼のプロモーションをしていた。『トウキョウ・セッション』を購入。帰りにティップネスへ。2週間ぶりにスイミング。今日は空いていた。コースを最初一人で泳ぐ。そのうち一人来たけれど、いつのまにかまた一人になる。500のうち400をターンを入れて50づつで泳ぐ。スイミングが面白いのは、自分で自分の泳ぎを発見できるところ。身体が身体の動きを発見していくことを、泳ぎながら確認できることだ。平泳ぎだけでも、いろいろな泳ぎが発見できる。
体脂肪17,2 BMI 20.4  体重 52.4

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November 27, 2006

某雑誌の座談会。あわや女同士のバトルに、うそうそ、そんなことはありませんでしたよ。

朝 パン、レタス、ハム、リンゴジャム/コーヒー
昼 かき揚げそば
夜 鮭のフライ(タルタルソース)、ほうれん草とコーンのソテー、キュウリとニンジンのサラダ、豆、カブとベーコンのスープ、海苔の佃煮、ごはん

霧雨、曇り

7時30分起床。むすめがバイト、クルマで送っていく。朝食後、メールなどして出る。事務所につくと高●さんが相談があるという。『談』登場者の振込先を整理。プリンターがまたキュウシジャムのメッセージ。部屋の湿度が高いのだろうか。座談会の資料などに目を通す。TASCへ。準備をしていたらまず眞●●有さんが早々といらっしゃった。スタバのコーヒーとパンを食べる。続いて柄●●代子さん、オニツカタイガーのジャージなんか着てきてワッカーイ。最後に粥●●二さん。オーディエンスは7名。2時きっかりにスタート。始まって早々に眞●さんが、柄●さんを柄●先生と呼ぶので、柄●さんも応酬。それがきっかけになったというわけではないが、眞●さんの発言に柄●さんが違和感をしめし、反論にちかい意見をすると、それにまた眞●さんが反論のようにやんわりとかわす。というようなことが続いた、ひさしぶりに面白い座談会だった。

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August 14, 2006

誰もいない事務所で仕事、夕方福島へ。

朝 パンドゥミ、ハム、レタス、ポテトサラダ/コーヒー(パナマ)
昼 ピートロ定食(ビートロねぎしお、キャベツ、ワカメスープ、ご飯)
夜 サイコロステーキ、こんにゃく、人参、高野豆腐ひじき、ウグイス豆、ご飯/ア
サヒ ザ・マスター、赤ワイン
タラモアデュー
晴れ
7時30分起床。ニャンの世話、朝食。ベランダの植物に水をやる。部屋の掃除と風呂掃除。大学の採点。今年は、履修生が少なくて、熱心に出席した人と欠席が目立つ人とはっきりしていたのでやりやすかった。しかし、講義でゲストスピーカーのKさんが、映画は制作ではなく製作を使うとあれほどいっていたのに、なぜみんな制作と堂々と書いてくるのか。聞いてないのということなのかな。昼前に出て、渋谷で早めの昼食。事務所は今日はぼくしかいない。カメラマンのAさんが不在だったので、ポストにデータとコンタクトをいれていく。それを確認。そのあと、メルマガを購読しているTさんに講演会の依頼をする。これが時間がかかってしまった。すると、○○な人から面白い提案。でも、ケータイで写メする習慣がない僕は、これはなかなかきつい
課題。申し訳ないなと思いつつお断りをした。気が向いたらやりましょう。ほんとうは、原稿を書かなければやばいのに、とりかかったのは17時になってから。30分ほどやって、上野へ。成城石井で夕食をゲットしてスーパーひたちに乗り込む。なんかすいてるなぁ。

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October 04, 2004

谷口幸男『エッダとサガ』新潮選書 1976

……まさか僕が、君の住むふるさとにやって来ることになるとは思いもしなかった。フロムを出航した間際は、それでも乗客の多くが甲板に出て驚くやらはしゃぐやらしていたけれど、いまはもう僕のほかには数人しかいない。いくらすごい景色とはいえ、こんなに寒くてはね。とくにご老体には、この雨はこたえるのだろう、アメリカからやってきたという年配の団体客は、とっくにキャビンに引っ込んで、おしゃべりに夢中だ。/君からもらったポストカードには、夏の晴れわたるフィヨルドの大自然が写しとられていた。雲がわずかにかかる真っ青な空を、フィヨルドの岩盤が斜めに切り裂く。けれども、岩場の木々は新緑に輝き、大地には確実にやさしさが満ち溢れていた。トリミングされた風景は、風光明媚な観光地としてのイメージを記憶の中に焼き付けたのだ。/ところがどうだろう、現実に僕の前に立ちはだかるソグネフィヨルドは、苛酷で険しい山の自然そのものだ。観光シーズンをとっくに過ぎたいまごろになってやって来たのだからしかたがないにしても、現実は想像をはるかに超えるものだった。/数百メートルの岩の壁の上部には霧が冷たくたちこめ、湿った大気は僕のからだの隅々にまで侵入し、まるで細胞までもが凍ってしまいそうだ。フェリーボートは規則正しくエンジン音をあげる。しかし、この巨大な渓谷に重く漂う静寂さをふりはらうには、あまりにも脆弱だ。/でも、僕は、君の言うとおり、冬の気配に満ちたこの峻烈なフィヨルドの方が好きだ。君がこの風景を僕に見せたかった理由も、僕にはとてもよくわかる。君の暮らすノルウェーは、氷河の上に築かれた国。その古代の記憶を僕たちに呼び覚ますフィヨルドは、決して風光明媚な書割りではないからだ……
95年の秋、ノルウェーのソグネフィヨルドを船で遊覧しました。『エッダとサガ』の物語の背景となっているヴァイキングの世界を体験したいと思ったからです。ところが、フェリーボートに揺られているうちに、好戦的で野蛮な民のことなんかすっかり忘れてしまい、「ノルウェーの森」の世界で遊んでいたのでした。これは、その「ノルウェーの森」ソグネフィヨルド・バージョンの序章の一節。
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海岸線を深くえぐるフィヨルド(ノルウェー・ソグネフィヨルド)

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October 03, 2004

松井邦雄『夢遊病者の円舞曲』作品社 1982

「世界が至るところで世紀末の腐臭と二十世紀という名の怪物の胎動をともども感じながら、富の拡大と貧困の深化という両極に引き裂かれてなすすべを知らなかった八○年代に、世界中のどこにもまだ大衆の肉体を解放する実りのある手だてがみつかっていなかったこの時代に、なぜ南半球の首都ブエノス・アイレスの港町にタンゴという比類ないリズムの器が出現したのだろうか。/おそらく器をなみなみと満たす感情(センチメント)がそこにはみなぎっていたのだ、としかいうことができない」。
都市は必ずその場所にふさわしい音楽を産み落とすものです。リオにとってのボサノーヴアがそれであるように、パリにはシャンソンが、ナポリにはカンツォーネが、リスボンにはファドが、そしてブエノス・アイレスにはタンゴが。なかでもタンゴは、ブエノス・アイレスの日常(ボルヘス)そのものが形を変えて表出したものです。生きることの労苦を、ダンスで紛らわさずにはいられなかったブエノス・アイレスっこにとって、それは蕩尽であり感情の形式でした。
「タンゴが作り出したもの、それはブエノス・アイレスの貧民たちの、そういってよければ〈宿命の感覚〉ではないか。宿命の感覚とは生の一回性を文句なしに奉ずることである」。(「海と港と漂泊者」『夢遊病者の円舞曲』所収)
松井さんとは生前三度お会いする機会がありました。始めてお目にかかったのがお勤め先である旧TBSの応接室。この時は、原稿の依頼で。二度目はそばの寿司屋に誘っていただいた時。ある編集者と松井さんを引きあわせるために。そして三度目は、松井さん行きつけのタンゴ・バー「ダリ」にて。僕はしこたま酔っぱらって、口笛でピアソラの「Adios Nonino」をやったら、松井さんはトラピチエの赤を一本ご褒美にくれました。結局、それが松井さんとの最後のお別れになりました。
ブエノス・アイレスのボガの地を踏んだのは、それから5年後。タンゴ発祥の地として知られるボガ地区カミニート。そのカラフルな町並みは、よく見るとペンキがはげ落ち壁は今にも崩れ落ちそうな、お世辞にもきれいとは言えないものでした。しかし、その崩壊寸前ともいえる荒廃した雰囲気は、激しさと哀愁がとぐろのように渦巻くタンゴととてもよくあっているようにも思えました。僕は、迷うことなくカミニートでは最も良く知られたタンゴバーに入り、「宿命」と言う名前をもつワインべースのカクテルを注文しました。
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写真は、カミニートの町並み


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September 24, 2004

アニタ・ポリッツァー『知られざるジョージア・オキーフ』晶文社 1992

ジョージア・オキーフの「青い川」が好きです。縦長のカンヴァスにリオグランデ川を描いたその絵を見ていると、川の流れる音は聞こえずに、かわりに細かな無数の粒子がチリチリ、チリチリと空中を舞う音が響きます。風のささやき、それとも魂の震える音? その音の主を探して、ニューメキシコのタオスを訪ねたのは、92年のことでした。
サンタフェからさらにクルマで3時間あまり、リオグランデ川を遡ったところに、オキーフが晩年暮らしたまちタオスがあります。プエブロ・インディアンの生活圏であったタオスは、全てが茶褐色をしています。粘土をれんが状に積み上げたアドべ様式で建物ができ上がっているからです。その独特の風合いは、エキゾチックでノスタルジック。オキーフばかりでなく、アーティストや作家がその雰囲気に魅了されて、この地にやってきた理由も納得できます。
タオスをうろうろしていたら、中でもひときわ美しい、それでいてモダンなたたずまいのアドベの家を発見しました。それがメーブル・ダッジ・ルーアンの自邸であることは、すぐにわかりました。ルーアンは、アメリカで活躍した美術家のパトロンで、20世紀の初頭にNYでサロンを開いていたのですが、後にタオスへ移り住み、今度はアーティストたちをこの地に呼び寄せたのでした。オキーフもその一人。彼女がこの地を終の住み処としたきっかけをつくったのは、じつはルーアンだったのです。ルーアンの自邸を訪れた者には、D・H・ロレンスの名もあります。彼が描いたペンキ絵がバスルームに残っていました。
オキーフが、どれだけこの地を好んだか、それは彼女が残した夥しい風景画のほとんどが、ニューメキシコであったことからも容易に推測できます。そして、「青い川」です。あのチリチリは、やはりというか当然というか、砂の音だったようです。彼女は、水にすらニューメキシコの乾燥した砂の音階を見てしまった。水蒸気が微細な砂の粒子へと変化していく。そんなことが起るのでしょうか。いや、彼女はそう本当に信じていたのでしょう。サンタフェのファインアーツ美術館に掛けられていた「青い川」から、僕もその砂のざわめきを聞き取ることができました。
彼女の絵が好きでオキーフという人に興味をもつようになりましたが、『知られざるジョージア・オキーフ』は彼女の友人が綴った評伝。彼女の魅力が余すところ無く語られています。
写真はメーブル・ダッジ・ルーアン邸

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知られざるジョージア・オキーフ

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September 20, 2004

ジル・ラプラージュ『赤道地帯』弘文堂 1988

クラウス・キンスキー扮する主人公の夢は南米にオペラハウスを建設することでした。そのための資金を捻出するために、山奥を開拓しゴム園をつくろうと決断。そして、そこに流れる河に輸送船を運航させるために船で山を越えることを思いつく。この奇想天外な物語「フィツカラルド」(ヘルツォーク監督)は、じつはもとネタがあるらしい。そんなうわさを聞きつけて、いてもたってもいられなくなり、僕はマナウスへと旅立ったのでした。マナウスは、アマゾン川の河口から1700km上流に位置する都市。ほんとうにそんな劇場があるのかと半信半疑で歩いていたら、突然目に飛び込んできた鮮やかなタイル張りのドーム。そう、それがアマゾネス劇場です。うわさは本当でした。19世紀末に始まるゴム景気で、20世紀の初頭には、多くの成り金を産みました。ゴムで稼いだ巨万の富を消費するために、ジャングルの真ん中にパリのオペラ座を模したオペラの劇場をつくって、ヨーロッパと同じオペラを上演する。そんな夢みたいなことを成り金たちは実行してしまったのです。写真がそのアマゾネス劇場の外観。内部がまたすごい。贅を尽くした調度品が所狭しと並んでいます。アマゾンの伝説をモチーフにした黄金の刺繍のある緞帳、きらびやかな巨大なシャンデリア、さらには金銀がふんだんに埋め込まれたインテリア……。誰でも眩暈を起こさずにはいられません。アマゾネス劇場はかつての栄華を伝える、夢の箱船なのかもしれません。
『赤道地帯』のどこにも、アマゾネス劇場の記述はありません。しかし、「アマゾニア」と題する小品が、僕にマナウス行きを決意させたことは確かです。そこに描かれているアマゾンの森林は、著者の思いとは裏腹に、成り金たちが幻想したオペラの書割りのように僕には見えたからです。ジャングにしまい込まれた黄金の劇場。そんなフィクション、誰だって見たくなりますよ。
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赤道地帯

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September 19, 2004

Sten Getz Joao Gilberto『Getz Gilberto/』1963

これまでいろんなところを旅してきました。この前数えてみたら、18カ国46都市になっていました。兼高薫さんには遠く及びませんが、それでもけっこう行った方だと思います(11月末には多分50都市達成の予定)。悲しいことにその大半は取材。ですが、旅の最中は楽しいものです。それになにより経費はクライアントもちですからね。悲しいわけはありません。そこで、これからしばらく、旅をした場所と、それにちなんだ本やCDを紹介しようと思います。
今回は、ブラジルのリオデジャネイロ。93年の1月に行きました。取材の目的地はブラジリア。オスカー・ニーマイヤーというブラジル出身の建築家が、新都市建設に奔走した足跡を彼の残した沢山の建築物に訊ねるという企画でした。ブラジリアについては、いずれお話しますが、その途中でせっかくだからというのでリオに立ち寄ったのです。ちゃっかり勝手にオフと決め込んで。リオは常夏の都ですが中でも1月は最も暑い季節。コパカバーナの海岸に建つホテルに泊まって、すっかりリゾート気分で過ごしました。ビーチバレーこそやりませんでしたが、気分は完全にカリオカ。褐色の娘さんのお尻を追いかけて、それはそれは楽しいビーチリゾートを堪能しました。
写真は、イパネマ海岸から一筋入った通りにあるカフェ「Garota de Ipanema」でお茶した時のもの。かつては「ヴェローゾ」という名前のバーで、ここに出入りしていた実在の女性エロイーザを讚えてつくられたのが超有名なボサノヴァの名曲「イパネマの娘」。その後この曲の大ヒットによって、店名も「イパネマの娘」にしてしまったのです。というわけで、アントニオ・カルロス・ジョビンへのリスペクトを込めて、ジョビンのピアノがフューチャリングされたスタンゲッツとジョアン・ジルベルトの名盤『GETZ/GILBERTO』を紹介しましょう。
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Getz/Gilberto

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September 05, 2004

佳村萠『うさぎのくらし』2004

佳村萠さんの始めてのオリジナル・ソロ・アルバム。鬼怒無月さんと勝井祐二さんのユニットpere-furuが音づくりに全面的に協力しています。strange music pageの菅原さんがHPで書いていましたが、この三人の出会いはほんとに奇蹟といっても言い過ぎではありません。その音楽をいったいなんと形容したらいいのでしょうか。アコースティックだけれど不思議な電気の音をもっています。いっけん内省的な歌詞に見えて、言葉の一つひとつはものすごくアグレッシヴで、力への意志すら感じます。メロディのある歌の間に挟まれる奇妙な一人称の会話。タイトル曲になっている「うさぎのくらし」では、「はい、はい」と自分の問い掛けにうなずいたりします。「この世の天国」では、「それはまるで天国でしょう/あの世には無くて/この世だけにある/そこはまるで天国でしょう」と一人言のように静かに話します。いったい誰に話しかけているのでしょうか。ほんとうのことを言うと、ポエトリー・リーディングはあまり好きではありません。でも、佳村萠さんのそれは、まるでささやきのようで、すっかり魅了されてしまいました。詩というのでもなく、声というのでもなく、おそらくそれを「うた」というのかもしれない、なんて偉そうに思ってもみたりして。
アルバム発売を記念して、佳村萠さんはライブをやりました。はにかみながら、でも自信に溢れたその声の向こうに、ぼくは、はっきり「うた」を聴き取りました。今度こそ、佳村萠さんの映画を見るぞ。
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cauliflower at 23:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)アコースティック 

September 04, 2004

Think of One『CHUVA EM PO』2004

なんと60日ぶりの更新です。別に、海外に行っていたわけではありませんし、刑務所にぶち込められていたというわけでもありません。単にメンドーになっただけです。いや、うそです。じつは、もう一つ別のBlog を立ち上げることになって。そっちをやっていたもんで、ついつい滞ってしまったというわけです(それに日記サイトもやってるし、けっこう追われる毎日なのよ)。
さて、そっちのBlogにも書きましたが、先日Shibuya O-EASTでライブの二連ちゃんをしました。Think of OneとKiLA。これがすさまじくよかった。今年のFUJI ROCKも思い出に残るライブがたくさんありましが、一月もしないでまたしてもこんな素晴らしい演奏に出会えるとは、本当に幸運。1日目のThink of Oneには、渋さ知らズがゲスト出演。Think of Oneは、ブラジルのミュージシャンとのコラボレーションでブラジルから女性3人と男性1人が参加。ラテンとプログレとブラスバンドが一体化した世にも不思議な音楽を作り出しました。アンコールでは渋さ知らズも加わって、信じられないようなジャムセッションをやってくれました。2日目のKiLAは、奇蹟のようなバンド。ROVOが人力トランスというなら、KiLAは動物のトランス、それも理性をもった野獣のトランス。驚くべきグルーヴで観客を宇宙へすっ飛ばしてしまいました。
というわけで、今日はThink of Oneのブラジル・プロジェクトです。個人的には、クリスとルルというチャーミングなブラジル娘がコーラスをとる「Paleto」が好きですが、御年64歳(?)のドナおばさんの歌う「Caranguejo」が妙なグルーヴで面白い。これは、和訳すると「蟹」というタイトル。ボーナス・ヴィデオでは、メンバーが夜の浜辺で蟹を生で食べているシーンが出てきますが、いったい何のことを歌っているのでしょうか。誰かおしえてくださ〜い。

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シュヴァ・エン・ポー

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June 28, 2004

John Zorn 『John Zorn 50th Birthday Celebration vol.3 Locus Solus』2004

2003年9月ジョン・ゾーンの生誕50年を祝って、30日間のマラソン・ライブが開催されました。場所は、NYのロワー・イースト・サイドにある「トニック」。過去にROVOがここで演奏し、ライブアルバムをつくったことは、以前紹介しました。
さて、ジョン・ゾーンのレーベル「Tzadik」から、「Birthday Celebration」としてこの時のライブ音源が随時リリースされることになったのです。これはその第3弾。ジョン・ゾーン(as)、アート・リンゼイ(g)、アントン・フィア(ds)によるユニット「ロクス・ソルス」のじつに20年ぶりの新譜です。アントン・フィアがたたき出すビートに、ジョン・ゾーンのフリーキーなアルトサックスが激しく亀裂を入れ、さらにアート・リンゼイの爆裂ケイレンギターがそれらをボコボコにするという、破壊と創造、戦慄と緊迫の44分53秒。それはそれはすさまじい演奏です。気になったのは、曲が終わると、必ず高笑いが聞こえてくるんですが、あれはジョン・ゾーンなのでしょうか。無気味すぎます。
Locus Solus
Locus Solus: 50th Birthday Celebration

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June 27, 2004

長尾智子『長尾食堂』マガジンハウス 1999年

黒パンにたっぷり塗られたバター。でも、よく見ると焦げ茶色の粒々が混ぜ込んであるのです。さっそく、一口いただいてみると、おやっ、何やら懐かしい味が……。「ふふふっ、それ、黒砂糖、美味いでしょ?」 いや、とっても美味しいっす。寒い国でできる乳製品と暑い国でできる砂糖のマリアージュ。その不思議な風味は、奇想天外かつ絶妙です。
長尾智子さんの料理は、いつもこんな風に唐突に登場します。そして、いつのまにかみんな長尾ワールドでほっぺたが緩みっぱなしになってしまうのです。今日は、ひさしぶりに長尾智子さん宅にお邪魔しての撮影でした。黒砂糖バターは、撮影の合間さっとつくったいわば賄い料理。本ちゃんはもっとすごいアイデア料理ですが、残念ながら企業秘密で紹介できません。あしからず。
長尾さんの料理は、モダニズムの建築のようにシンプルでしかも驚くべきアイデアが隠し込まれています。男性に熱烈なファンが多いのも頷けますね。そんな長尾智子の世界観が、世に知れ渡るきっかけとなったのがこの一冊。ごま、さくらえびなどの乾物、じゃこ、水菜といった長尾さんの偏愛する食材は、すでにここでもバンバン使われています。ちなみに、僕は「たけのこと豆腐のじゃこピリ辛焼き」に「さくらえびのまぜごはん」をつくって家族に好評でした。
長尾食堂
長尾食堂

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June 13, 2004

大浦みずき『バック・ステージDIARY』小学館 2002年 他

イラストレーターの阿部マリー(真理子)さんに誘われて、大浦みずきさんの舞台生活30周年記念「dream by dream」を見てきました。大浦みずきさんを初めて見たのは83年の宝塚花組公演「メイフラワー」。同じ年にバウシアターでやった「アンダーライン」という小さな作品も見ました。探偵レナード・バレル役があまりにカッコよく、気がつけばムラ(宝塚大劇場)にまで足しげく通うようなファンになっていたのです。彼女の本名はなつめさん。虜になった僕は、なつめにちなんだペンネームまでつくってしまいました(「仁王立ち倶楽部」になつめひろみ名義でダンス批評を連載していたのは、私で〜す)。
さて、公演はというと、まずしょっぱなから宝塚時代のメドレー。なつめファンには号泣ものの憎い企画です。得意のタンゴはさらに磨きがかかりやはりダンスはこの人しかいないと妙に納得してみたり。最近の舞台から、特に「レミゼラブル」から二曲を歌い会場を魅了しました。とにかく全編なつめさんの歌と踊りがてんこもり。往年のファンにはたまらない夢の一夜になりました。阿部マリーさんのはからいで楽屋にお邪魔し、僕は握手をさせてもらっちゃいました。もう一生右手は手洗わないぞ。
終演後、阿部さんの友人でいらっしゃるエッセイストの阿川佐和子さんたちも一緒になって、楽しくなつめさんの話をしました。阿川さんは、なんとナッチー(なつめさん)とおんなじ小学校の同級生だったんですって。
というわけで、今日はなつめさんのエッセイとご尊父でいらっしゃる坂田寛夫さんが宝塚の創始者小林一三の生涯を綴った『わが小林一三』を紹介しましょう。一目でおわかりのように、『バック・ステージDIARY』の表紙は阿部マリーさんのイラスト。挿し絵もすべて彼女が担当。とても楽しい日記風のエッセイ集です。酒田寛夫『わが小林一三』(河出書房新社、1983年)の方は、財界人としてはきわめて個性的な存在であった小林一三の、とりわけ少女歌劇という世界に類のない芸能を生みだした心性にスポットを当てた評伝。

バックステージ
わが小林一三

バック・ステージDIARY

わが小林一三―清く正しく美しく

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June 06, 2004

『エピステーメーII 0号』第2期 1984年 朝日出版社 ほか

いったん終刊したのですが、1984年に『エピステーメー』は復刊しました。といっても、4号で再び長い眠りに入るのですが。この第2期というのが、また世の常識を破壊するメガトン級の危険物でした。読者に媚びないおもねない、というか「読めるなら読んで見ろ」と読者を恫喝するエディトリアルデザインでカリスマ的人気を獲得した戸田ツトムさんと鈴木一誌さんも、この第2期の『エピステーメー』の杉浦康平さんからみれば、ひよっこ同然でしょう。杉浦さんは「読めるなら読んで見ろ」とは決して言いません。ただ、「あなたはこれが読めなければいけない」と諭すのです。受苦、パッション、忍従を強いるデザイン。その意味で、『GS』より、第2期『エピステーメー』はよりフランス現代思想的(!)でした。ところで、ここに並んでいる2冊は?、じつは、この三冊とも編集長が同じ人なのです。中野幹隆さん。知る人ぞ知る名編集者。今は、哲学書房の代表でもあります。中野さんの辣腕ぶりは夙に知られていますが、なんといってもすごいのは、現代思想=難解というイメージを紙面にそのまま反映させたことにあります。現代思想なんてホントはあきれるほど分かりやすいものなんですが、中野さんが杉浦さんや鈴木さんにデザインを頼んだばかりに、現代思想が理解不能なものになってしまったのです。現代思想は難しいんじゃなくて、単にデザインがすごすぎて読めない、ただそれだけのことだったんです。今、現代思想離れが深刻です。この凋落ぶり、中野さんのせいだとは言いませんが、もう少し普通の、常識の、当たり前の文字組みで読者に提供してくれていれば、こんな状況にはならなかったと思うんですがねぇ。
左より『エピステーメーII 0号』第2期 1984年 朝日出版社、『季刊パイディア』第11号(AD=杉浦康平) 1972年 竹内書店、『季刊 哲学』創刊準備号 1987年 哲学書房(AD=鈴木一誌)

エピス第2期パイディア
季刊哲学


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June 05, 2004

『エピステーメー』創刊準備号 1975年 朝日出版社

『エピステーメー』は、フランス現代思想オタクのコレクターズアイテムといっていいでしょう。ミッシェル・フーコー/白井健三郎訳「エピステーメーとアルケオロジー」、蓮實重彦「ディスクールの廃虚と分身」の2本の論文が収められた本誌には、次号(創刊号)より始まる連載が奥ゆかしく、しかし自信たっぷりに紹介されています。呉茂一「古典へのチチェローネ」、小尾信爾「進化する宇宙」、氷上英廣「ニーチェの気流圏」、渡辺格「人間の終焉」、グスタフ・ルネ・ホッケ/種村季弘訳「絶望と確信」、荒井献ほか訳「ヘルメス文書」、廣松渉「マルクス・エンゲルスの思想圏」。そして記念すべき創刊号の特集は「記号+レクチュール」。フランス現代思想の専門誌というよりは、大森荘蔵さんがビックバンを起した雑誌として僕の中では長く記憶されることになるのです。『エピステーメー』のもう一つの特徴は、杉浦康平さんのグラフィックデザインがやっぱり大爆発を起したことでしょう。すでにこの準備号からしてすごかったのですから。ご覧のように、全て左側のページにはテキスト、右側には○×△□の有名な女性像が裁ち落としで載り、しかもペラペラまんがのように大から小へ大きさを変えながら、反時計回りに移動していくというものでした。全ページ見せられないのが本当に残念です。古書店で見つけたらぜひぱらぱらとめくってみて下さい。でも、間違ってもこのグラフィックはなんのため? なんて思っちゃダメですよ。

『エピステーメー』創刊準備号 1975 朝日出版社
圧倒的に無意味なページネーションが炸裂します。

エピス創刊
エピス中
エピス中2


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June 04, 2004

moe.『Warts and All volume one』2001年

すでに2度も来日してたなんて。まったくうかつでした。phishと双璧をなすロック系ジャムバンドmoe.。phishが下地をつくり、フジロック02でストリング・チーズ・インシデントが火をつけたジャムバンド・ブーム。今年いよいよmoe.がフジロック04のField of Heavenに登場します。今後ジャムバンドはジャンルを越えたムーブメントになっていくことは間違いないでしよう。その中心的役割を担うはずのバンドこそmoe.だと思います。カントリーやブルーグラス、ジャズにレゲエが溶け込んだミクスチャーミュージックという点では、あまたあるジャムバンドと変わりありませんが、moe.にはサザンロックという図太い芯が一本通っています。それが、ほかのジャムバンドと一線を画すところです。ツインリードギターに独特のうねりのあるサウンド。粘ばりのあるドライブ感は、ちょっぴりオールマンブラザーズバンドを彷彿させます。そういえば、デュアン・オールマンに声色もちょっぴり似ていたりして。『Warts and All volume one』は、2001年4月23日にペンシルバニア州スクラントン・カルチャー・センターでのライブ録音。3枚組。ラストにラモーンズの「I wanna be sedated」をやっていますが、これってシャレなの? ところで、Warts and Allとは直訳すると「イボまで見せます」。つまり、「何から何までご開陳!!」という意味だそうです。
moe.
moe.『Warts and All volume one』2001年

Warts and All, Vol. 1

cauliflower at 23:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ジャムバンド 

May 29, 2004

『PRESS 東京おとなクラブ増刊』東京おとなクラブ 1984

中森明夫さんが編集していた『東京おとなクラブ』の増刊号。ページを開くと、ババーンといきなりこんな見出しが飛びだしてきます。「浅田彰、フライングパイレーツに乗る」。「アッキラくん、あそびましょ」という感じで始まるこの記事、要するに、アッキラくんこと浅田彰さんを豊島園に誘い出して、フライングパイレーツにのっけてインタビューするという企画なんですね。アッキラくんはジェットコースターは高度資本主義的だけれど、フライングパイレーツは封建主義的な遊びでつまらないです、なんてちゃんとそれらしいコメントを述べてお茶を濁してますし、ほんとこの時代の気分がよ〜くあらわれています。しかも、ソフトクリームをなめているアッキラくんのスナップ写真付き。でも、この雑誌の白眉はなんといっても戸川純さんの特集。ちょうど「玉姫様」が発売されて、新人類世代(死語の死語)のハートをがっちり掴んで、ノリノリ(死語の死語のさらに死語)の頃でしたから、その記事が目に入って思わず買ってしまったんでしょう。中森さんのインタビューがじつに気が利いていて面白いのですが、新宿の母票原すみ子(ママ)が戸川純さんの手形を見て将来を占うというコラムがあったりカットは丸尾末広だったりと、編集もいいとこ狙ってます。(注…票原すみ子は栗原すみ子の誤植か、それともウソ?)ほかには、今は和光大学の先生になってしまった野々村文宏さんや朝日新聞で書評もやってる山崎浩一さんなどが寄稿。執筆陣はなかなかゴーカですが、なんと岡崎きょうこ(ママ)が8コマまんがを描いているというのは特筆ものですね。
というわけで、『裏玉姫 戸川純とヤプーズ』カセットテープ版(YEN/アルファレコード)も一緒に紹介しましょう。84年2月19日ラフォーレミュージアム原宿でのライブを収録したもの。この「玉姫様」は最高にいいですよ。
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『裏玉姫 戸川純とヤプーズ』カセットテープ版(YEN/アルファレコード)
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May 28, 2004

『山口昌男山脈』no.4  国書刊行会 2004

山口昌男先生にお会いしました。じつに17年ぶりです。前にお会いした時は、丸一日東京を移動しつつのインタビューでした。新宿で待ちあわせて、市ケ谷へ移動し、○万円の講演会をタダで聴講し、再び地下鉄を乗り継いで渋谷へ。センター街の鰻屋で大ジョッキのお代わりをした時には、すでに日はとっぷりと暮れていましたっけ。挨拶代わりに、その話をしたのですが、先生はすっかり忘れておられました。ご病気をされてからは、訪ねてくるものは誰構わず「知の迷宮巡り」に引っ張り出すということはさすがになくなったようですが、「血(知)の巡り」のよさはあいかわらずです。楽しい時間を過ごさせていただきました。帰りがけに『山口昌男山脈』の話をしましたら、奥さんが最新号が出たのよと一冊持ってきてくれました。これは『内田魯庵山脈』にならった山口先生の個人誌です。そういうつもりで言ったわけではなかったのですが、ちゃっかり頂戴しちゃいました。
『山口昌男山脈』で思い出したのですが、no.1に収録されている「寺山修司の挑発力」という鼎談で、その昔『地下演劇』という雑誌で山口先生が芥正彦さんと対談をしたと話しています。この芥さんという人は、じつはとんでもない怪人で、ある時座談会に参加するのですが、終始他の参加者の話を無視して一人でずっとしゃべり続けていたというのです。編集をした榎本了壱さんが困ってしまい、結局ページを上下に分けて上段で座談会、下段で芥さんのモノローグという二元放送でまとめたと。なるほど、そういう手があったのか。僕も時々とんでもない座談会をまとめることになって、煩悶することがあるのですが、今度からこの手を使おうと思いました。
さて、右がその『地下演劇』。このno.4、ついに丸ごと一冊芥正彦さんのモノローグでつくってしまった問題作。640ページという分厚さに文字数が100万字以上(あんまりびっしり入っているので数えられません)入っています。芥さんの雑誌じゃないのに(寺山さんの雑誌)、芥さんの個人誌にしちゃったわけです。なるほどこんな手もあったのか。今で言えば芥正彦造山運動!!

『山口昌男山脈』no.4  国書刊行会 2004
『地下演劇no.4 ホモフィクタス』地下演劇社 1971

山口昌男
ホモフィクタス
山口昌男山脈〈No.4〉

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May 12, 2004

『畠山直哉 NAOYA HATAKEYAMA』淡交社 2002

都市に内包された自然に内包された都市に内包された自然=都市(自然(都市(自然))) このウロボロス的な都市と自然の入れ子状況を、シャープにかつクールな視線で捕獲し続けているフォトグラファーが畠山直哉さんです。はじめて「等高線」の牛の写真を見た時に、「こりゃ、TADAO ANDOの牛じゃあ!!」と思わず声を上げて笑ってしまいました。そこに佇む牛の肌理がコンクリート打ちっぱなしのようで、まるでビルディングのようだったからです。それ以来、畠山直哉さんの仕事は常に僕を驚かせます。「ライム・ワークス」の工場はラップランドの森のようですし、「ライム・ヒルズ」の採石場は、2025年の品川駅のようです。「アンダーグラウンド」の下水道は、ニューロンのようですし、「スローグラス」は、クオンタムジャンプのようです。畠山さんの手にかかると、自然は人工物に、人工物は自然に、レンズを透過したとたんに、世界が逆立ちしてしまうのです。自ら暗箱そのものとして生き直している畠山さんと、幸運にも一度海外に行ったことがあります。ドイツの「エムシャーパーク」プロジェクトの取材でした。すでに閉山してから何十年もたった大規模工場地帯を、産業的自然風景として再生保存しようというそのプロジェクトを、撮影できるのは畠山さんをおいていないと思ったからです。そして、予感はズバリ的中。彼のカメラは、みごとに錆びた鋼鉄が植物に変成し繁茂する21世紀の都市の近未来を写し取ったのでした。「インダストリアル・ネイチャー」というタイトルで、『City&Life』という雑誌に発表しました。右はその記事。ツォルフェアアイン第12立坑公園事業のシンボル的存在「採炭施設」。左は2002年、郷里の岩手県で開催された回顧展に合わせて編まれた写真集。
ちなみに畠山直哉さんは1997年に第22回木村伊兵衛賞を受賞。

畠山直哉
エッセン
畠山直哉

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May 05, 2004

ROVO『Tonic2001』2002年

今年も行ってきました「MAN DRIVE TRANCE SPECIAL vol.2」。5月5日日比谷野音、つまり今日です。日本中が晴天なのに、関東のみ雨という予報。お願い降らないで!とつくったてるてる坊主が55個、みごとお役目を果たしてくれました。ゲストの一組バッファロー・ドーターの演奏の時にちょっと小雨がぱらついたくらい。あとは雨量0で、持っていったカッパの出番はわずか5分5秒。寒かったのはしかたないとしても、とにかく濡れ鼠で踊ることにはならなかったのですから上出来でしょう。
エマーソン北村もGAMA(木管楽器ディジュリドゥと打ち込みを一人でこなすトライブ系、はじめて見たけどすごかった)もよかったけれど、やはりなんといってもROVO。今日は、最初から新曲ですっ飛ばしました。途中、あれっ、いつからラウンジ系に?! なんてのもあって、ちょっと驚かされたり。でも、ハイテンションな演奏はあいかわらずです。後半戦に入るといつもと同じ調子。もう僕らの足腰は止まってられません。気がつくと完全に踊り狂っていました。本当は今日は満月で、それを想定してのライティング。残念ながら、月は雲の隙間からも覗いてくれませんでしたが、満足のいくパフォーマンスでした。さて、「日比谷野音ライブ」はすでに紹介ずみ。そこで、今回はNYでのライブ版にしました。ROVOのライブはどれも甲乙つけがたいいいものばかり。でも、僕はこのNYのがけっこう気に入ってます。なんか、音の空気が違うんですね。それに、なぜかすごく自由奔放に演奏しているんですよ。
Tonic
ROVO『Tonic2001』2002年
Tonic 2001

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May 04, 2004

菊池成孔『Degustation A Jazz』 2004年

料理界を喫驚させたスペインの天才シェフ、フェラン・アドリア・アコスタさんが先月末に来日し、その仰天テクニックを余すところなく披露されました。あいにくチケットは満員御礼のために入手できず。しかたなく、そのデモンストレーションの様子は後日、料理研究科・海豪うるるさんのレポートから知ることになりました。例の「エアー」と名付けられた泡の料理を、今回は「抹茶のエアー」と称してエビに添えられたそうです。また、おなじみの注射器を使用してつくる「偽キャビア」。メロンのピューレをキャビアの間に詰め、パッションフルーツのソースをかけて出来あがり。そんな、フェラン・アドリアのアイデアと機知に溢れたびっくり料理が、これでもかこれでもかと本人の実技付きで紹介されたのだそうです。あ〜ほんとうに残念。もうこうなったら、カタルニアの彼のレストラン「エル・ブリ」に行くっきゃないですね。そして、その味に心底翻弄されましょうか。
さて、フェラン・アドリアさんを一躍世界一有名な料理人にしたのが、「デギュスタシオン」でした。彼は、それまで誰も試みたことのない料理(のプレゼンテーション)を食卓上に展開したのです。なんと一口大の料理、62皿で完結するコースをお客さんに提供するというもの。厨房の中に客席を設けるとか、50席しかないのに55人もスタッフがいるとか話題には事欠かない「エル・ブリ」ですが、さすがにこの新趣向のフレンチに世間は度肝を抜かれました。
で、菊池成孔さんの新譜。成ちゃんはあえてジャズアルパムをつくるにあたって、このフェラン・アドリアのアイデアをちゃっかり拝借したのでした。モダンにフリーにクラブ系……、さまざまなスタイルの作品が全部で41曲。一口大の曲ばかりなので、どれもちょっと喰い足りない感じ。でも、その残り香を堪能するまもなく、次の味(音)が誘惑します。まさにそれは、あの「エル・ブリ」の試食(デギュスタシオン)的コースそのものといえましょう。そこでお願い。今度は成ちゃんの考えるスウィーツを食べさせてくださいまし。もちろん、ラス・メイヤーばりの「食紅てんこ盛り」ではないものですよ。
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菊池成孔『Degustation A Jazz』 2004年
Degustation a Jazz
Chansons extraites(de Degustation a Jazz)

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April 21, 2004

『DECODE』Premiere Edition東邦出版 1982年

見せられないのが残念ですが、ガンダレ仕様の表紙裏にいきなりディヴァインのポートレイトがサイン入りで載っているこの雑誌、なんだかわかりますか。たった1号で世の中から消えてしまった、ニューウェーヴでラディカルで超ポップなオカルトマガジンなのです。トビラのリードにはこう書かれていました。「文化価値を定位させることなく加速し続けることの宿命……その中に現代文化の原理的中核としてのオカルト衝動が伏在する。(…)それら霊的ボルテージは、現代文化の最も先鋭化されたカルチャー・ニューウェイヴの中に検証可能である。いや、少なくとも現代文化に伏在するオカルト衝動とは、規格化された文化価値の中にエンコードされた情報から、デコード(解読)へという能動的な掛け橋を提起しているのである」。今見ると、Webがまだ軍事用のインフラでしかなかった80年代の初頭に、ペーパーメデイアでサイトを立ち上げたという感じ。執筆陣には、阿基米得、武田洋一、浅井雅志、美沢真之助、法水金太郎といったアングラ、オカルト系のライターにまじって、四方田犬彦も「皮膚・汚辱・恐怖」なんていうおぞましいエッセイを寄稿しています。また、ロットリンガーのジャック・スミスへのインタビューという、ヒップこのうえない記事まである! しかし、なんといっても、この雑誌のフィクサーはといえば、あの武邑光裕なのですね。G・I・グルジェフのオタクは、絶対持っていなければいけない一冊でしょう。
DECODE

『DECODE』Premiere Edition東邦出版 1982年

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April 12, 2004

『ドラキュラ』創刊号 新樹書房 1973年

じつは、『月下の一群』が創刊された経緯は、この季刊『ドラキュラ』が創刊と同時にあっけなく休刊になってしまったからです。つまり、『月下の一群』は『ドラキュラ』の文字どおりの復活劇だったのです。そもそも編集後記に「出来ることならば、これを読物(マガジン)とせず、闇一門の武芸帳として、腰にぶらさげ、照る日曇る日、「会」の血風をあおられんことを願います」と唐十郎が書いたからいけないんですよ。きっと読者は本気にしてしまって、もはや雑誌の時代ではないと、早とちりしてしまったに違いありません。
それはさておき、この表紙はどうですか。『月下の一群』とは比較にならない迫力でしょう。ファンならハハーンときますよね、そうです中村宏画伯のイラストレーションなんです。セーラー服と機関車、あまりにベタな取りあわせ。でも、好きですよ、僕は。コンテンツには、「特集 血をあびるダンディズム」とあり、足立正生の「最新約聖書 ネゲブ砂漠の神」、若松孝二の「カンコクれぽーと 日本流血列島の記」という連載、「東亜の快楽構造をめぐって 姫か少年か!?」唐十郎と沼正三による対談が掲載されています。また、赤瀬川源平と南伸宏の「充血鬼マラキュラ」という傑作も。30年もたったので、そろそろ棺桶から三度目の復活をなさってもいいんではないでしょうか。
ドラキュラ
『ドラキュラ』創刊号 新樹書房 1973年

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『月下の一群』創刊号 海潮社 1976年

『血と薔薇』でピエール・モリニエの名前を知ってしばらくたってから、四谷シモンがやはりモリニエを敬愛していることを知りました。「つつしみぶかさのないことについて」と題された写真構成によるページに「ピエール・モリニエの方へ」というサブタイトルをつけて発表していたのを偶然発見したからです。その雑誌こそ、唐十郎編集による3号雑誌『月下の一群』でした。もっとも、3号すら発行できずに休刊してしまいましたが。
さて、創刊号の特集は「人形 魔性の肌」。澁澤龍彦と唐十郎による往復書間「下降の水路をたどるゴンドラ」、赤瀬川源平の「肉天体の原理」という二つの意味深長な文章が掲載されていました。その後僕が責任編集をすることになるミニコミ誌『アルンハイムの地所』は、「死は旅であり、旅は死である」というバシュラールの言葉に導かれて、夢としての冥界を彷徨うというものでしたが、この二つの文章から強い霊感を受けたものでした。
巻末には長編戯曲「下町ホフマン」が載っています。そういえば、この芝居を下北沢の本多劇場予定地(!)の赤テントで見たことを今思い出しました。
月下の一群
『月下の一群』創刊号 海潮社 1976年

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April 11, 2004

『血と薔薇』創刊号 1968年 天声出版

昨年『血と薔薇』が、3冊セットで復原(復刻)されました。じつに四半世紀ぶりの快挙です。しかし、僕のは正真正銘68年発行のオリジナルです。定価は1000円、IBM6133と奥付にあります。どれもかなり傷みがひどいのですがちゃんと3冊持ってます。実際には3号でいったん休刊になり、その後4号として復刊されました。これは題名こそ同じですが、似て非なるものなので持っていません。
なぜ僕がこの雑誌を買ったのかというと、「男の死」という特集のグラビアに惹きつけられたからでした。「聖セバスチャンの殉死」と題された三島由紀夫をモデルに篠山紀信の撮り下ろした作品。また、「サルダナパルスの死」は、本誌編集長の澁澤龍彦自らがモデルになって、奈良原一高が撮り下ろした作品。さらには、唐十郎、土方巽、三田明がモデルで、深瀬昌久、早崎治、細江英公が撮り下ろした作品も収められています。なんとも豪華でしょう。もちろん豪華なのはグラビアだけではありません。特集が他に、「吸血鬼」「苦痛と快楽」「オナニー機械」と4つもあって、澁澤龍彦はもちろんのこと、稲垣足穂、埴谷雄高、種村季弘、塚本邦雄、加藤郁呼、植草甚一というビッグネームが執筆者に名を連ねているのです。当時ほとんど知られていなかった、ピエール・モリニエやクロヴィス・トゥルイユなんていう画家を紹介したのもおそらく本誌が最初だったと思います。
血と薔薇
『血と薔薇』創刊号 1968年 天声出版

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April 03, 2004

Anode/Cathode『punkanachrock』ピナコテカレコード 1977?

Anode/Cathodeといっても、大友良英さんのCDではありません。1975年からアメリカ西海岸で謎のギグを続けていたグループと同封されていたチラシには書かれていました。これは、そのギグを録音したテープを偶然に譲り受け、レコード化したのだそうです。果たしてその音はというと、サイキックtvをもっとノイジーに、パンキッシュにしたようなエレクトロです。でも、そんな演奏よりまず目を引くのはこのジャケット。なんといったって三角形ですから(スキャナの関係で角が一箇所欠けてしまいましたが…)。さらに仰天してしまうことは、彼らのレコードのほかに、おまけと称して天地真理のシングル「恋人たちの港」がそっくり1枚入っていたことです。東京ロッカーズの時代、アンダーグラウンドで活動するグループのレコードを次々にディストリビュートした日本のインディーズレーベルの草分け的存在ピナコテカレコード。その中でも『punkanachrock』はひときわストレンジな1枚でした。ちなみに、レコードの表には「立体お姫さま」裏には「中華人民動物園」というやっぱり謎だらけの文字が記されています。
Anode/Cathode
天地真理
Anode/Cathode『punkanachrock』ピナコテカレコード 1977?

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April 02, 2004

ピエール・クロソウスキー『かくも不吉な欲望』現代思潮社 1977年

ニーチェの『悦ばしき知識』論に始まり、「…われわれのあいだで性交と呼ばれるものは、神々における存在の明白化への必然的な参加にほかならない」という「ニーチェと多神教とパロディ」で終わる、ニーチェ的永遠回帰を身に纏ったクロソウスキーの論文集。なんといってもこのタイトルがいいですね。「光に対する みじめな者どもの かくも不吉な欲望は何なのか?」というヴェルギリウス『アエネーイス』第六巻からの引用。身体の内奥から込み上げてくる、痛ましくも悦楽に痺れる霊的な欲望。それ自体が表現されているようで、一度でもそれを口に出すともう忘却することはできなくなります。腐りつつある肉体が、新たな光を求めて天上界へと昇ろうとする時、魂は純化されるといいます。おお、ここにあるのは、自己腐敗へと緩慢に移行する時の「暴力性」が光速で降りかかる陽光と一瞬にして交わす魂の性交! なんと優美で下劣な行為よ。
かくも不吉な
ピエール・クロソウスキー『かくも不吉な欲望』現代思潮社 1977年
かくも不吉な欲望

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March 31, 2004

ONJQ『ONJQ LIVE』2002年

大友良英さんの演奏を初めて見たのは今はなき六本木ロマニッシュカフェでのギグ。ハイナー・ゲッペルス、デビット・モスとの共演で、大友さんはターンテーブリストとして、むちゃくちゃエッジの効いたパフォーマンスを演じていました。96年11月25日のことです。この日は、巻上公一さんもボイスの即興で参加。もう、すっかりキャバレーボルテールという気分の夜でした。
大友さんは、しかし本領はやはりギタープレイにあります。フリージャズ、音響派、ポストロック、エレクトロ……、と日本のアヴァンギャルド・シーンでは知らない人はいないというフリー・インプロヴァイザーのひとり。いくつものユニットを掛け持ちで活動する大友さんですが、ONJQ(otomo yoshihide's new jazz quintet)はジャズをとりあえずの起点にしながら、新たな解釈を加えつつ脱構築するためにつくられたユニットです。菊池成孔さん(ts)、芳垣安洋さん(ds.tp)、津上研太さん(ss.as)、水谷浩章さん(b)さんとメンバーは超ド級。繰り出される演奏がすごくないわけはありません。ものすごいです。これは果たしてジャズなのか。グルーヴなきグルーヴの怒濤のようなスウィング感。カッコよすぎです。これは、そのONJQのライブ版。エリック・ドルフィーやウェイン・ショーターの曲なんかを取り上げているのですが、僕のいち押しは最後の「Eureka」。ご存知ジム・オルークの曲。これこそ、直球的な音響派の生録り。
ONJQ
ONJQ『ONJQ LIVE』2002年
ONJQ Live

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March 27, 2004

Pavarotti『Best of Italian songs』1979年

「ごらんなさい、ソレントの海/たくさんの宝が底深く隠されている/世界中を旅した人たちだっていう/こんな美しいところは知らないと」。ナポリターナ(イタリア民謡)の中で、いちばん好きな曲といえば「帰れ、ソレントへ」をおいてありません。僕は、この歌詞に誘われて、気がついたときにはナポリ湾からソレント岬を眺めていました。歌の通りそこはとてもステキなところでした。ナポリ湾に突き出たソレント岬。そこに実在するトラモンタート・ホテルのコマーシャル・ソングとしてつくられたのが「帰れ、ソレントへ」。こうして東洋の小国からひとりの日本人を呼び寄せてしまったのですから、コマーシャルとしても大成功(?)ですね。
ところで、もうすぐルチアーノ・パヴァロッティが来日します。引退公演に向けてのプロジェクトを日本から始めるのだそうです。「ラ・ボエーム」の「冷たい手、私の名はミミ」や「リゴレット」の「女心の歌」や「アンドレア・シェニエ」の「5月の晴れた日のように」を熱唱するのでしょうが、ぜひともナポリターナの名曲「帰れ、ソレントへ」を歌って欲しいものです。このアルバムでは、1曲目に収録されています。ちなみに、最後の15曲目はやはり日本ではおなじみの「オ・ソレ・ミオ」です。
pavarotti
Pavarotti『Best of Italian songs』1979年

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March 26, 2004

マルグリット・デュラス『アンデスマ氏の午後/辻公園』白水社 1963年

浜崎あゆみのファンの恐ろしいところは、どの歌も常に「私ひとり」に向けられたメッセージだと受け取ってしまうことです。ファンは100万人もいるけれど、どのファンとも、あゆは常に1対1で向かいあっている。つまり、あゆが100万人いるのと同じなのです。ところが、デュラスのファンはというとやっとこさ1000人いるかどうか。でも、ファンの人たちのこころには、同じ一人のデュラスが棲んでいます。デュラスの良さを知ってもらえる友がいることはうれしいけれど、自分だけしか知らない人であってもほしいという、アンビバレントな気持ち。ファン心理というのは、ほんとはこういうものですよね。あゆが100万人いても……、ねぇ。と、これは香山リカさんがある本で書いていたことです。しかし、ほんとうにデュラスのファンって1000人しかいないのか? 
デュラスとの最初の出会いは、『モデラート・カンタービレ』でした。ご存知のようにこれは、後に映画化されましたが(『雨のしのび逢い』)図書館で借りてきて、かなりベケットがはいっているぞと思ったものです。もちろんだからこそデュラスを好きになったわけですが。さて、『アンデスマ氏の午後/辻公園』も、やっぱりベケットが入ってます。それも、かなりてんこ盛り。とにもかくにも対話、対話、対話。対話がどこまでも続いていき、語り続けながらプツリと終わってしまいます。「アンデスマ氏の午後」も、「辻公園」も。いったいこれから、どう展開するのだろうか、と期待を抱かせておきながら、最後はプツリ。これって、普通の小説の技法ではないですよね。でも、それこそがデュラスの、いや同時代のヌーヴォ・ロマンに共通する小説世界でした。今、こういう小説を面白いと思う人は、さて1000人もいるのでしょうか。
アンデスマ氏
マルグリット・デュラス『アンデスマ氏の午後/辻公園』白水社 1963年

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March 21, 2004

Youssou N'dour『The Lion』1989年

もう先週のことです。U-23が3大会連続のオリンピック出場権を手にしました。やはり勝つのはうれしい。ぜひ、ギリシアでもその実力を存分に発揮してもらいたいものです。そこで提案。誰かカッコイイ応援歌をつくってくれませんか。合唱するだけで、かならず得点が入ってしまうような、勝利を呼び込む幸運の応援歌を。それをみんなで合唱して、こんどは優勝といきましょう。
『The Lion』の1曲目「The Lion/ガインデ」こそ、そうした勝利のためにつくられた楽曲です。ガインデとは、ウォロフ語でライオンの意味。サッカーのセネガル代表のチーム名でもあります。ユッスーはセネガル人の誇りを百獣の王ライオンに託して、この曲をつくりました。とにかく、スピード感があって、ビートがあって、太っといのなんの。カッコよすぎです。この曲を聞いているだけで、負ける気がしなくなりますから。日本代表のために、そんな「ガインデ」のような応援歌を、誰かつくって!!
ユッスー
Youssou N'dour『The Lion』1989年

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