July 1981

July 08, 1981

勅使河原三郎の「Luminous」を観る

シアターコクーンで勅使河原三郎の「Luminous」を観る。オープニングはとてもかっこよかった。手が小刻みに猛烈な速度で上下したり、最初から勅使河原さんのダンスは加速度感があふれていて見ごたえがあった。音楽はノイズとミニマル系のエレクトロと室内楽がノンストップにリミックスされた感じ。可動式の正方形のガラス板が天井から数枚吊るされていて、また観客席前の舞台にはやはり小さなガラス板がドミノ倒しのようにきれいに並べられている。第1部は激しく動き回る数名のダンサーとほとんど動かない一人のダンサーの組み合わせに黒人のエブロイ・ディアの詩の朗読がからむ。休憩はさんで第二部は初っぱな吊り下げられた人間が登場。舞台上には巨大なあつみのある正方形の白い板が3つ開いたり閉じたりずっと動いている。スペクタクルな舞台はかえって印象を薄くする。最後の方で勅使河原のソロ。しずかに踊りはじめるとほかの女性たちの動きとまるでちがう。いよいよクライマックスで全盲のスチュアート・ジャクソンが勅使河原とデュオで踊る。これが圧巻。先天盲で全盲。動きがかなりへん。本人は意識していないのだろうが、踊りがやはりへんなのだ。言いにくいが動きがなんとなくどんくさい。回るのでも、非常に丹念に回るのだけれど、度が過ぎてへんに見える。知覚器官を一つ遮断すると、身体の別のところが欠損を起す。それがここではへんな動き方という形で出てきた。勅使河原のはうま過ぎて観ていてちょっと飽きてくるが、スチュアートのはもうどんな動きも見逃せないという感じで観ていた。勅使河原はなぜに彼とデュオをやろうと考えたのだろうか。どうみたってスチュアートの方がへん。土方巽さんの歩行も飛びきりへんだったけれど、スチュアートのもかなりきていた。最後の拍手も一人うけていた。しかし、今回のダンス作品は、作品そのものより、作品以前の戦略のようなものが見えてしまったのは残念だ。

cauliflower at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ダイアリー | アート