September 2004
September 24, 2004
アニタ・ポリッツァー『知られざるジョージア・オキーフ』晶文社 1992
ジョージア・オキーフの「青い川」が好きです。縦長のカンヴァスにリオグランデ川を描いたその絵を見ていると、川の流れる音は聞こえずに、かわりに細かな無数の粒子がチリチリ、チリチリと空中を舞う音が響きます。風のささやき、それとも魂の震える音? その音の主を探して、ニューメキシコのタオスを訪ねたのは、92年のことでした。
サンタフェからさらにクルマで3時間あまり、リオグランデ川を遡ったところに、オキーフが晩年暮らしたまちタオスがあります。プエブロ・インディアンの生活圏であったタオスは、全てが茶褐色をしています。粘土をれんが状に積み上げたアドべ様式で建物ができ上がっているからです。その独特の風合いは、エキゾチックでノスタルジック。オキーフばかりでなく、アーティストや作家がその雰囲気に魅了されて、この地にやってきた理由も納得できます。
タオスをうろうろしていたら、中でもひときわ美しい、それでいてモダンなたたずまいのアドベの家を発見しました。それがメーブル・ダッジ・ルーアンの自邸であることは、すぐにわかりました。ルーアンは、アメリカで活躍した美術家のパトロンで、20世紀の初頭にNYでサロンを開いていたのですが、後にタオスへ移り住み、今度はアーティストたちをこの地に呼び寄せたのでした。オキーフもその一人。彼女がこの地を終の住み処としたきっかけをつくったのは、じつはルーアンだったのです。ルーアンの自邸を訪れた者には、D・H・ロレンスの名もあります。彼が描いたペンキ絵がバスルームに残っていました。
オキーフが、どれだけこの地を好んだか、それは彼女が残した夥しい風景画のほとんどが、ニューメキシコであったことからも容易に推測できます。そして、「青い川」です。あのチリチリは、やはりというか当然というか、砂の音だったようです。彼女は、水にすらニューメキシコの乾燥した砂の音階を見てしまった。水蒸気が微細な砂の粒子へと変化していく。そんなことが起るのでしょうか。いや、彼女はそう本当に信じていたのでしょう。サンタフェのファインアーツ美術館に掛けられていた「青い川」から、僕もその砂のざわめきを聞き取ることができました。
彼女の絵が好きでオキーフという人に興味をもつようになりましたが、『知られざるジョージア・オキーフ』は彼女の友人が綴った評伝。彼女の魅力が余すところ無く語られています。
写真はメーブル・ダッジ・ルーアン邸
知られざるジョージア・オキーフ
サンタフェからさらにクルマで3時間あまり、リオグランデ川を遡ったところに、オキーフが晩年暮らしたまちタオスがあります。プエブロ・インディアンの生活圏であったタオスは、全てが茶褐色をしています。粘土をれんが状に積み上げたアドべ様式で建物ができ上がっているからです。その独特の風合いは、エキゾチックでノスタルジック。オキーフばかりでなく、アーティストや作家がその雰囲気に魅了されて、この地にやってきた理由も納得できます。
タオスをうろうろしていたら、中でもひときわ美しい、それでいてモダンなたたずまいのアドベの家を発見しました。それがメーブル・ダッジ・ルーアンの自邸であることは、すぐにわかりました。ルーアンは、アメリカで活躍した美術家のパトロンで、20世紀の初頭にNYでサロンを開いていたのですが、後にタオスへ移り住み、今度はアーティストたちをこの地に呼び寄せたのでした。オキーフもその一人。彼女がこの地を終の住み処としたきっかけをつくったのは、じつはルーアンだったのです。ルーアンの自邸を訪れた者には、D・H・ロレンスの名もあります。彼が描いたペンキ絵がバスルームに残っていました。
オキーフが、どれだけこの地を好んだか、それは彼女が残した夥しい風景画のほとんどが、ニューメキシコであったことからも容易に推測できます。そして、「青い川」です。あのチリチリは、やはりというか当然というか、砂の音だったようです。彼女は、水にすらニューメキシコの乾燥した砂の音階を見てしまった。水蒸気が微細な砂の粒子へと変化していく。そんなことが起るのでしょうか。いや、彼女はそう本当に信じていたのでしょう。サンタフェのファインアーツ美術館に掛けられていた「青い川」から、僕もその砂のざわめきを聞き取ることができました。
彼女の絵が好きでオキーフという人に興味をもつようになりましたが、『知られざるジョージア・オキーフ』は彼女の友人が綴った評伝。彼女の魅力が余すところ無く語られています。
写真はメーブル・ダッジ・ルーアン邸
知られざるジョージア・オキーフ
September 20, 2004
ジル・ラプラージュ『赤道地帯』弘文堂 1988
クラウス・キンスキー扮する主人公の夢は南米にオペラハウスを建設することでした。そのための資金を捻出するために、山奥を開拓しゴム園をつくろうと決断。そして、そこに流れる河に輸送船を運航させるために船で山を越えることを思いつく。この奇想天外な物語「フィツカラルド」(ヘルツォーク監督)は、じつはもとネタがあるらしい。そんなうわさを聞きつけて、いてもたってもいられなくなり、僕はマナウスへと旅立ったのでした。マナウスは、アマゾン川の河口から1700km上流に位置する都市。ほんとうにそんな劇場があるのかと半信半疑で歩いていたら、突然目に飛び込んできた鮮やかなタイル張りのドーム。そう、それがアマゾネス劇場です。うわさは本当でした。19世紀末に始まるゴム景気で、20世紀の初頭には、多くの成り金を産みました。ゴムで稼いだ巨万の富を消費するために、ジャングルの真ん中にパリのオペラ座を模したオペラの劇場をつくって、ヨーロッパと同じオペラを上演する。そんな夢みたいなことを成り金たちは実行してしまったのです。写真がそのアマゾネス劇場の外観。内部がまたすごい。贅を尽くした調度品が所狭しと並んでいます。アマゾンの伝説をモチーフにした黄金の刺繍のある緞帳、きらびやかな巨大なシャンデリア、さらには金銀がふんだんに埋め込まれたインテリア……。誰でも眩暈を起こさずにはいられません。アマゾネス劇場はかつての栄華を伝える、夢の箱船なのかもしれません。
『赤道地帯』のどこにも、アマゾネス劇場の記述はありません。しかし、「アマゾニア」と題する小品が、僕にマナウス行きを決意させたことは確かです。そこに描かれているアマゾンの森林は、著者の思いとは裏腹に、成り金たちが幻想したオペラの書割りのように僕には見えたからです。ジャングにしまい込まれた黄金の劇場。そんなフィクション、誰だって見たくなりますよ。
赤道地帯
『赤道地帯』のどこにも、アマゾネス劇場の記述はありません。しかし、「アマゾニア」と題する小品が、僕にマナウス行きを決意させたことは確かです。そこに描かれているアマゾンの森林は、著者の思いとは裏腹に、成り金たちが幻想したオペラの書割りのように僕には見えたからです。ジャングにしまい込まれた黄金の劇場。そんなフィクション、誰だって見たくなりますよ。
赤道地帯
September 19, 2004
Sten Getz Joao Gilberto『Getz Gilberto/』1963
これまでいろんなところを旅してきました。この前数えてみたら、18カ国46都市になっていました。兼高薫さんには遠く及びませんが、それでもけっこう行った方だと思います(11月末には多分50都市達成の予定)。悲しいことにその大半は取材。ですが、旅の最中は楽しいものです。それになにより経費はクライアントもちですからね。悲しいわけはありません。そこで、これからしばらく、旅をした場所と、それにちなんだ本やCDを紹介しようと思います。
今回は、ブラジルのリオデジャネイロ。93年の1月に行きました。取材の目的地はブラジリア。オスカー・ニーマイヤーというブラジル出身の建築家が、新都市建設に奔走した足跡を彼の残した沢山の建築物に訊ねるという企画でした。ブラジリアについては、いずれお話しますが、その途中でせっかくだからというのでリオに立ち寄ったのです。ちゃっかり勝手にオフと決め込んで。リオは常夏の都ですが中でも1月は最も暑い季節。コパカバーナの海岸に建つホテルに泊まって、すっかりリゾート気分で過ごしました。ビーチバレーこそやりませんでしたが、気分は完全にカリオカ。褐色の娘さんのお尻を追いかけて、それはそれは楽しいビーチリゾートを堪能しました。
写真は、イパネマ海岸から一筋入った通りにあるカフェ「Garota de Ipanema」でお茶した時のもの。かつては「ヴェローゾ」という名前のバーで、ここに出入りしていた実在の女性エロイーザを讚えてつくられたのが超有名なボサノヴァの名曲「イパネマの娘」。その後この曲の大ヒットによって、店名も「イパネマの娘」にしてしまったのです。というわけで、アントニオ・カルロス・ジョビンへのリスペクトを込めて、ジョビンのピアノがフューチャリングされたスタンゲッツとジョアン・ジルベルトの名盤『GETZ/GILBERTO』を紹介しましょう。
Getz/Gilberto
今回は、ブラジルのリオデジャネイロ。93年の1月に行きました。取材の目的地はブラジリア。オスカー・ニーマイヤーというブラジル出身の建築家が、新都市建設に奔走した足跡を彼の残した沢山の建築物に訊ねるという企画でした。ブラジリアについては、いずれお話しますが、その途中でせっかくだからというのでリオに立ち寄ったのです。ちゃっかり勝手にオフと決め込んで。リオは常夏の都ですが中でも1月は最も暑い季節。コパカバーナの海岸に建つホテルに泊まって、すっかりリゾート気分で過ごしました。ビーチバレーこそやりませんでしたが、気分は完全にカリオカ。褐色の娘さんのお尻を追いかけて、それはそれは楽しいビーチリゾートを堪能しました。
写真は、イパネマ海岸から一筋入った通りにあるカフェ「Garota de Ipanema」でお茶した時のもの。かつては「ヴェローゾ」という名前のバーで、ここに出入りしていた実在の女性エロイーザを讚えてつくられたのが超有名なボサノヴァの名曲「イパネマの娘」。その後この曲の大ヒットによって、店名も「イパネマの娘」にしてしまったのです。というわけで、アントニオ・カルロス・ジョビンへのリスペクトを込めて、ジョビンのピアノがフューチャリングされたスタンゲッツとジョアン・ジルベルトの名盤『GETZ/GILBERTO』を紹介しましょう。
Getz/Gilberto
September 05, 2004
佳村萠『うさぎのくらし』2004
佳村萠さんの始めてのオリジナル・ソロ・アルバム。鬼怒無月さんと勝井祐二さんのユニットpere-furuが音づくりに全面的に協力しています。strange music pageの菅原さんがHPで書いていましたが、この三人の出会いはほんとに奇蹟といっても言い過ぎではありません。その音楽をいったいなんと形容したらいいのでしょうか。アコースティックだけれど不思議な電気の音をもっています。いっけん内省的な歌詞に見えて、言葉の一つひとつはものすごくアグレッシヴで、力への意志すら感じます。メロディのある歌の間に挟まれる奇妙な一人称の会話。タイトル曲になっている「うさぎのくらし」では、「はい、はい」と自分の問い掛けにうなずいたりします。「この世の天国」では、「それはまるで天国でしょう/あの世には無くて/この世だけにある/そこはまるで天国でしょう」と一人言のように静かに話します。いったい誰に話しかけているのでしょうか。ほんとうのことを言うと、ポエトリー・リーディングはあまり好きではありません。でも、佳村萠さんのそれは、まるでささやきのようで、すっかり魅了されてしまいました。詩というのでもなく、声というのでもなく、おそらくそれを「うた」というのかもしれない、なんて偉そうに思ってもみたりして。
アルバム発売を記念して、佳村萠さんはライブをやりました。はにかみながら、でも自信に溢れたその声の向こうに、ぼくは、はっきり「うた」を聴き取りました。今度こそ、佳村萠さんの映画を見るぞ。
アルバム発売を記念して、佳村萠さんはライブをやりました。はにかみながら、でも自信に溢れたその声の向こうに、ぼくは、はっきり「うた」を聴き取りました。今度こそ、佳村萠さんの映画を見るぞ。
September 04, 2004
Think of One『CHUVA EM PO』2004
なんと60日ぶりの更新です。別に、海外に行っていたわけではありませんし、刑務所にぶち込められていたというわけでもありません。単にメンドーになっただけです。いや、うそです。じつは、もう一つ別のBlog を立ち上げることになって。そっちをやっていたもんで、ついつい滞ってしまったというわけです(それに日記サイトもやってるし、けっこう追われる毎日なのよ)。
さて、そっちのBlogにも書きましたが、先日Shibuya O-EASTでライブの二連ちゃんをしました。Think of OneとKiLA。これがすさまじくよかった。今年のFUJI ROCKも思い出に残るライブがたくさんありましが、一月もしないでまたしてもこんな素晴らしい演奏に出会えるとは、本当に幸運。1日目のThink of Oneには、渋さ知らズがゲスト出演。Think of Oneは、ブラジルのミュージシャンとのコラボレーションでブラジルから女性3人と男性1人が参加。ラテンとプログレとブラスバンドが一体化した世にも不思議な音楽を作り出しました。アンコールでは渋さ知らズも加わって、信じられないようなジャムセッションをやってくれました。2日目のKiLAは、奇蹟のようなバンド。ROVOが人力トランスというなら、KiLAは動物のトランス、それも理性をもった野獣のトランス。驚くべきグルーヴで観客を宇宙へすっ飛ばしてしまいました。
というわけで、今日はThink of Oneのブラジル・プロジェクトです。個人的には、クリスとルルというチャーミングなブラジル娘がコーラスをとる「Paleto」が好きですが、御年64歳(?)のドナおばさんの歌う「Caranguejo」が妙なグルーヴで面白い。これは、和訳すると「蟹」というタイトル。ボーナス・ヴィデオでは、メンバーが夜の浜辺で蟹を生で食べているシーンが出てきますが、いったい何のことを歌っているのでしょうか。誰かおしえてくださ〜い。
シュヴァ・エン・ポー
さて、そっちのBlogにも書きましたが、先日Shibuya O-EASTでライブの二連ちゃんをしました。Think of OneとKiLA。これがすさまじくよかった。今年のFUJI ROCKも思い出に残るライブがたくさんありましが、一月もしないでまたしてもこんな素晴らしい演奏に出会えるとは、本当に幸運。1日目のThink of Oneには、渋さ知らズがゲスト出演。Think of Oneは、ブラジルのミュージシャンとのコラボレーションでブラジルから女性3人と男性1人が参加。ラテンとプログレとブラスバンドが一体化した世にも不思議な音楽を作り出しました。アンコールでは渋さ知らズも加わって、信じられないようなジャムセッションをやってくれました。2日目のKiLAは、奇蹟のようなバンド。ROVOが人力トランスというなら、KiLAは動物のトランス、それも理性をもった野獣のトランス。驚くべきグルーヴで観客を宇宙へすっ飛ばしてしまいました。
というわけで、今日はThink of Oneのブラジル・プロジェクトです。個人的には、クリスとルルというチャーミングなブラジル娘がコーラスをとる「Paleto」が好きですが、御年64歳(?)のドナおばさんの歌う「Caranguejo」が妙なグルーヴで面白い。これは、和訳すると「蟹」というタイトル。ボーナス・ヴィデオでは、メンバーが夜の浜辺で蟹を生で食べているシーンが出てきますが、いったい何のことを歌っているのでしょうか。誰かおしえてくださ〜い。
シュヴァ・エン・ポー