November 28, 2007
通り抜け街路発見する喜びってかなりマニアック?!
朝 クロアッサン、パン、サラミソーセージ、ウインナソーセジ、スクランブル、チーズ、ピクルス、フルーツポンチ/オレンジジュース、コーヒー
夜 ポークと野菜を炒めたもの(フレンチ風筑前煮といったところ)、パン、栗のプリン/赤ワイン(ハウスワイン)、コーヒー
晴れ
6時10分起床。シャワーを浴びてストレッチ。朝食。団体客がいてものすごく込んでいる。9時にチェックアウト。地下鉄でViller baineneへ。探している物件がどこにあるかわからないままとりあえず歩いてみる。地下鉄駅のそばにあるといっていたので、なんとなくはわかっていたのでカンで探すと、あった。1830年代につくられた社会住宅。広い道路空間を中央に奥に行政機関の入ったタワー型ビル。その左右にシンメトリーに高層の集合住宅を配置してある。鉄骨の構成主義建築。コンセプトの明確さがデザインの力強さによってみごとに表現されている。オスカー・マイヤー、ル・コルビュジェと同世代の建築。ロシアフォルマニズムのマニアには垂涎ものの物件だ同潤会アパートが保存されることなく取り壊されていく中で、近代建築の保存再生にいち早く乗り出したフランス。日本はまた離されてしまった。あとで伺ったところによると、当時から住んでいる人もいるし、今も社会住宅の役割をになっているようだ。もともとbaineneという地域が戦前からコミュニズムの拠点で多数の労働者が居住していたという。スターリン主義デザインと揶揄されもしたが、ぼくは大好きだ。中が見れなかったのが残念。地下鉄でオペラ座へ。改造建築の代表。4年前にも来た。リュプブリック通りをギヨティエール橋まで歩きホテルへ。S伯さんとホテルで待ち合わせ。荷物をGare Part Diew(こっちのコインロッカーは預けるのが大仕事。空港にあるようなセキュリティチェックを受けてからロッカー室に入る。それから施錠。そのかわりでっかい)に置いて官庁舎へ。文化庁から出向してきている歴史的環境監視建築家Pierre Franceschineさんにインタビュー。「クロワ・ルス」建築的・都市的・景観的文化財保護区の保存再生事業と午前中見てきたViller baineneの再生事業について。Franceschineはコルシカ島の生まれ、顔立ちもイタリア人ぽい。取材後さっそくタクシーでグランド・コット坂へ。ここにはトラブル(traboule/リヨン特有の言い回し)という通り抜け街路がたくさんある。それを取材しようと思ってウンちゃんに尋ねるとやたら詳しい。なんと、彼はかつて絹織物を配達する仕事をしていて、トラブルを実際に使っていたのだ。どこに通り抜け道があるか彼は一目でわかるという。というのも、絹織物を運ぶのは結構な重労働で、一休みするためにそれをぶら下げて休む台座があるからだという。実際に通ってみる。かなり高低差があるので、通り抜け街路といってもほとんどが階段。それがまた独特の雰囲気をつくっている。S伯さんはカスバだという。サーベイを終えてレストランを探す。5時前にやっている店などない。カフェを発見。「Cafe 203」で食事。若者たちのたまり場。だけど昔から通い詰めている風のじいさんがいた。そこそこ美味かった。Gare Part Diewでギャラを渡し、是非今度はサン・マロに行こうと誘われる。しかし、遊びの場合はギャラ払えませんよという、「それは困った」ってあんた。TGVでリールへ。3時間の列車の旅。リール・ヨーロッパの駅は既にしまってい出口もある。外に出るが、ホテルはわからず。インフォメーションを探しホテル「Lille Europe」の所在を尋ねる。中央の広場を抜けていく。だだっ広い空間ばボーンと空いている。ホテルの入り口はドアが一つ。フロントも小さい。合理的だ。その後に、いかにこのホテルが合理性を重んじているか思い知らされる。部屋に入ると、トイレットペーパーとティッシュは同じものを使うようにセッティング。ここからしてそうだろう。ビールを飲んで寝る。
夜 ポークと野菜を炒めたもの(フレンチ風筑前煮といったところ)、パン、栗のプリン/赤ワイン(ハウスワイン)、コーヒー
晴れ
6時10分起床。シャワーを浴びてストレッチ。朝食。団体客がいてものすごく込んでいる。9時にチェックアウト。地下鉄でViller baineneへ。探している物件がどこにあるかわからないままとりあえず歩いてみる。地下鉄駅のそばにあるといっていたので、なんとなくはわかっていたのでカンで探すと、あった。1830年代につくられた社会住宅。広い道路空間を中央に奥に行政機関の入ったタワー型ビル。その左右にシンメトリーに高層の集合住宅を配置してある。鉄骨の構成主義建築。コンセプトの明確さがデザインの力強さによってみごとに表現されている。オスカー・マイヤー、ル・コルビュジェと同世代の建築。ロシアフォルマニズムのマニアには垂涎ものの物件だ同潤会アパートが保存されることなく取り壊されていく中で、近代建築の保存再生にいち早く乗り出したフランス。日本はまた離されてしまった。あとで伺ったところによると、当時から住んでいる人もいるし、今も社会住宅の役割をになっているようだ。もともとbaineneという地域が戦前からコミュニズムの拠点で多数の労働者が居住していたという。スターリン主義デザインと揶揄されもしたが、ぼくは大好きだ。中が見れなかったのが残念。地下鉄でオペラ座へ。改造建築の代表。4年前にも来た。リュプブリック通りをギヨティエール橋まで歩きホテルへ。S伯さんとホテルで待ち合わせ。荷物をGare Part Diew(こっちのコインロッカーは預けるのが大仕事。空港にあるようなセキュリティチェックを受けてからロッカー室に入る。それから施錠。そのかわりでっかい)に置いて官庁舎へ。文化庁から出向してきている歴史的環境監視建築家Pierre Franceschineさんにインタビュー。「クロワ・ルス」建築的・都市的・景観的文化財保護区の保存再生事業と午前中見てきたViller baineneの再生事業について。Franceschineはコルシカ島の生まれ、顔立ちもイタリア人ぽい。取材後さっそくタクシーでグランド・コット坂へ。ここにはトラブル(traboule/リヨン特有の言い回し)という通り抜け街路がたくさんある。それを取材しようと思ってウンちゃんに尋ねるとやたら詳しい。なんと、彼はかつて絹織物を配達する仕事をしていて、トラブルを実際に使っていたのだ。どこに通り抜け道があるか彼は一目でわかるという。というのも、絹織物を運ぶのは結構な重労働で、一休みするためにそれをぶら下げて休む台座があるからだという。実際に通ってみる。かなり高低差があるので、通り抜け街路といってもほとんどが階段。それがまた独特の雰囲気をつくっている。S伯さんはカスバだという。サーベイを終えてレストランを探す。5時前にやっている店などない。カフェを発見。「Cafe 203」で食事。若者たちのたまり場。だけど昔から通い詰めている風のじいさんがいた。そこそこ美味かった。Gare Part Diewでギャラを渡し、是非今度はサン・マロに行こうと誘われる。しかし、遊びの場合はギャラ払えませんよという、「それは困った」ってあんた。TGVでリールへ。3時間の列車の旅。リール・ヨーロッパの駅は既にしまってい出口もある。外に出るが、ホテルはわからず。インフォメーションを探しホテル「Lille Europe」の所在を尋ねる。中央の広場を抜けていく。だだっ広い空間ばボーンと空いている。ホテルの入り口はドアが一つ。フロントも小さい。合理的だ。その後に、いかにこのホテルが合理性を重んじているか思い知らされる。部屋に入ると、トイレットペーパーとティッシュは同じものを使うようにセッティング。ここからしてそうだろう。ビールを飲んで寝る。
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