メル友から、地球の裏側にいるメル友のライブがあるよというお知らせ。でも、なんだかややこしいねぇ、この関係。みんななぜゆえに満身創痍、僕だけが元気な理由は…。

February 07, 2010

1年生のぼくは、なんと1時間かけて学校に通っていたのだった。

朝 パンドゥミ、ハム、レタス、茹で卵/コーヒー(コスタリカ)
昼 豚骨ラーメンに海苔を増量トッピング
夜 チャンコ鍋(豚、白菜、つくね、ネギ、もやし)、〆は雑炊/プレミアムモルツ
晴れ
9時起床。ニャンの世話。ミルゥを外へ。朝食。ミルゥの散歩は野川まで。消炎剤が効いているのか、びっこをひかなくなった。軽快(にみえるけれど)な歩き。昨日と同様、休日のお仕事、おそうじを二つする。Sさんより、一本原稿が届く。目に留まった作品が同じ。しかも、もっとも高く評価した作品が同じというのはうれしい。二人とも鋭い? 午後から、odakyusagamiharaへ行く。kamikitazawaで産湯につかり、そのあとumegaokaに3年、4つになって引っ越した先がここだった。建ったばかりの団地。フラットタイプは、今で言うところのメゾネット。庭付きの2階建てだった。マッチ箱型の建物が建ち並ぶなかで、フラットタイプは、やや異彩を放っていたように思う。ちょうど玄関の前が広場になっていて、夏休みの朝はそこでラジオ体操をしたものだった。母は、この広場に立っていた照明灯のスピーカーから、ある日、一日中ペギー葉山の「南国土佐をあとにして」を流していたことをよく覚えている、といってたっけ。その団地をじつに、38年ぶりに再訪したのだ。なんと、団地は全面的に建て替えられ、すべて高層の建物に取ってかわられていた。集会所の前に表示されていた団地内の地図を見て、当時ぼくの住んでいた建物の場所に立ってみる。うれしいことに、広場に沿うように立っていた銀杏の大木が数本残っている。しかし、当時の面影を残すものはそれだけ。なんともさびしい再会となった。駅までもどり、反対側のまっすぐにのびた商店街を当時通った小学校まで歩く。隣には広大な敷地を誇る米軍のハウス、校庭の裏側には国立病院、当時と変わっていない。しかし、大きく変わったのは、その建物を取り囲んでいたのが雑木林でなく、一戸建てやマンションになったことだ。それにしても、自宅から踏み切りを渡り、約1時間近くかけて通学していたのだから驚きだ。小学校3年生になった時、そう、東京オリンピックの年に今の場所に越してきたのだった。団地と真新しいRCの校舎を往復した2年間、今では懐かしい思い出だ。

cauliflower at 23:00│Comments(0)TrackBack(0) ダイアリー | 

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