謝礼が消えるという珍事まごはよく熱を出す。1歳を超えた頃、娘もしょっちゅう熱を出していた。

June 22, 2019

オマージュの嵐

調布のイオンシネマでgodzilaをみる。11:10上映というのは、僕らにとっては早い。ただふりそうな気配ではあったが、自転車でいく。けっこう早く着くものだ。ところが、駅ビルが3棟並んでして、シネコンは一番八王子寄り。なのに、一番新宿寄りの棟に隣接する駐輪場に駐輪してしまった。約360m。かなりの距離だ。スクリーン8は、80席あまりの小さな小屋。ただ、座席は勾配がきつく、見やすかった。前列の頭が僕のまたのあたり。10分から始まったが、予告が10分以上。こんなんならバスで来れば良かった。でgodであるが、じつはシリーズ3作目。イントロが唐突に見えたのは、僕が3作目から見始めたからだ。モナークのことなどもまるで知らなかったので、始まってしばらくは、それぞれのポジションがわからず、誰がいい人で、誰が悪者なのかわからず、というかそもそも勧善懲悪ものかどうかも知らないでみているわけで。展開が理解できるようになったのは30分以上過ぎてからだ。脚本についていうと、ラッセル博士は、結局のところ何がやりたかったのかが不明。最後の方でゴジラなどの巨大生物を蘇らせて、地球環境にとってマイナスになるものすべてを除染し、巨大生物と共存する道を模索する、ということがわかる。ゴジラが誕生した54年当時の世界には、環境保護/開発優先という対立軸はなかったし、あるのは米ソのイデオロギー間の、国家間の対立が主だった。ラッセル博士の煩慮など当時の人々にはおよそ理解不能だろう。彼女がとった行動は、それゆえ今だから理解はできる。しかし、その煩悶そのものがテーマになってしまうと、それってどうなの? ということにもなってしまう。ストーリー展開が非常に弱々しく思えてしまうからだ。それにしても、巨大生物たちに対するオマージュがハンパないのだけれど、それがキャラクターデザインに反映されていないのが残念。日本文化の底にある「かわいい」がハリウッドには理解できていないのだ。シンゴジラにあってgodzilaにないもの、東宝モスラにあって今回のモスラにないものも、その「かわいい」感覚だ。モスラをただの巨大昆虫にしちゃダメでしょ。終了後、外を見れは本降りになっている。妻があめっしゅを見て、しばらくすると抜けるよ、というのでランチにする。ハンバーグのアボガトソースと五穀米、新鮮野菜のワンプレート。iPhonに着信。うれしいことに謝礼が出てきたとのこと。学生さんが拾って届けてくれたらしい。雨は収まった。パラパラという程度。レインパーカーを着て出発。夕方、fuliくんにLINEの引き継ぎを手伝ってもらう。トークもほぼ完璧に復元。感謝感激雨あられだ。夕餉は、ホットプレートでお好み焼き。焼きそば入り。

cauliflower at 23:55│Comments(0) 妻・娘 | 映画

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謝礼が消えるという珍事まごはよく熱を出す。1歳を超えた頃、娘もしょっちゅう熱を出していた。