ヒット曲がループする葬儀1段だけだが、階段を上り下りできるようになった

October 21, 2019

告別式に親族として出席

今日は告別式。りつはパパが保育園へ連れて行く。シスターズのお昼の用意をして、9:30に出発。道は意外に空いていた。井之頭公園入口付近は、ウィークデイでも混雑しないようだ。ジブリの入り口に人だかり。外国人のお客さんも結構いるみたい。kouekisha kichijojikaikanの駐車場の今日は向かって奥の方。ヘインのライトバンの隣。親族控室は、今日も冷房キツめ。11時から式開始。まず参列者から順にお焼香。参列者は、昨日ほどではないが、数十人は来ているように見える。棺に花を入れる。祭壇に飾られていたFCtokyoの赤と青の花々。赤の花の中には、真っ赤なバラもある。この青い花はなんだろうか。みるみるうちにわかさんのからだの周囲は花で埋め尽くされて行く。お顔の窓が閉められる。ゆりちゃんの挨拶。昨年11月に食道がんが見つかる。その本格的な検査入院をするという前に、マンションの売却が決まり母と兄の住む実家を2世帯住宅に改装した。市民祭りのある18日に引越しを手伝った。その時すでに、声がうまく出なかった。その後、食道がんの他にも転移があることがわかり、放射線と抗がん剤を使った本格的な治療が始まる。なんと100時間の治療を試みた。その後、新年お一日にワカさん夫婦はやってくる。獺祭と手作り黒豆持って。酒もたばこも解禁して。一旦は劇的に良くなって、引越し後今度はもう一つの夢だったbarの開店に漕ぎつく。toritsukaseiに居抜きのいい物件を見つけ、実際には1月と10日、バーテンダー生活を楽しむ。本人は、ほんとうに嬉しそうで楽しんでいたそうだ。ところが7月突然の腸閉塞で緊急入院。すでに転移も多数みつから、手術は不可能な状態。大部屋かに個室、再び大部屋へ。ところが今度は、下半身に体液がたまり、まはや取り除くこともできない状態。容態が悪化、再び個室へ。そして、16日帰らぬ人に。ゆりちゃんは、というこの激動の1年を振り返りつつの挨拶をした。それから、棺と一緒に堀之内の火葬場へ移動。ノンアルを飲みつつ、せんべいやらするめやらピーナッツをつまむ。妻と娘とでたいらげる。わずか1時間足らずで焼き上がる。骨拾い。喉仏が完全な形で残っていた。一番大きな骨壷が用意される。焼き場の人が言うには、これだけたくさん、いいかたちで残っているのはあまりないとのこと。ほんとうかと思いつつも信じることに。帰りは、遺影を持つ役割を与えられる。斎場に帰って、ノンアルとともに食事をいただく。刺身と煮物が美味しかった。天ぷらもたいらげる。若山さんのご母堂の手をとって初めは、のぶちゃんと次に妻と介助。4時過ぎに終了。お千代さんに連絡するとイッシーが数冊持ってきてくれたので、それを一冊明日までに自宅に送るよう手配してくれた。結局、宅急便手配の分は届かなかった。夕餉は、レトルトカレーの日。

cauliflower at 19:22│Comments(0) 冠婚葬祭 | 

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