ヴィジュアル

May 12, 2004

『畠山直哉 NAOYA HATAKEYAMA』淡交社 2002

都市に内包された自然に内包された都市に内包された自然=都市(自然(都市(自然))) このウロボロス的な都市と自然の入れ子状況を、シャープにかつクールな視線で捕獲し続けているフォトグラファーが畠山直哉さんです。はじめて「等高線」の牛の写真を見た時に、「こりゃ、TADAO ANDOの牛じゃあ!!」と思わず声を上げて笑ってしまいました。そこに佇む牛の肌理がコンクリート打ちっぱなしのようで、まるでビルディングのようだったからです。それ以来、畠山直哉さんの仕事は常に僕を驚かせます。「ライム・ワークス」の工場はラップランドの森のようですし、「ライム・ヒルズ」の採石場は、2025年の品川駅のようです。「アンダーグラウンド」の下水道は、ニューロンのようですし、「スローグラス」は、クオンタムジャンプのようです。畠山さんの手にかかると、自然は人工物に、人工物は自然に、レンズを透過したとたんに、世界が逆立ちしてしまうのです。自ら暗箱そのものとして生き直している畠山さんと、幸運にも一度海外に行ったことがあります。ドイツの「エムシャーパーク」プロジェクトの取材でした。すでに閉山してから何十年もたった大規模工場地帯を、産業的自然風景として再生保存しようというそのプロジェクトを、撮影できるのは畠山さんをおいていないと思ったからです。そして、予感はズバリ的中。彼のカメラは、みごとに錆びた鋼鉄が植物に変成し繁茂する21世紀の都市の近未来を写し取ったのでした。「インダストリアル・ネイチャー」というタイトルで、『City&Life』という雑誌に発表しました。右はその記事。ツォルフェアアイン第12立坑公園事業のシンボル的存在「採炭施設」。左は2002年、郷里の岩手県で開催された回顧展に合わせて編まれた写真集。
ちなみに畠山直哉さんは1997年に第22回木村伊兵衛賞を受賞。

畠山直哉
エッセン
畠山直哉

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February 07, 2004

赤瀬川源平『追放された野次馬』現代評論社 1972年

泰平小僧と馬オジサンによる対談「思想的変質者はいかにして鍛えられたか」という第1章からはじまるこの一冊は、雑誌『ガロ』(もちろん初代の)に仕掛けられた『桜画報』、雑誌『現代の眼』(とっくに廃刊)に仕掛けられた『現代○○考』のコンピレート版。雑誌の一部を乗っ取るというペーパージャックという戦術をあからさまにやってのけたこの二つの劇画連載は、当時の活字メディアを震撼させました。千円札裁判が「虚実皮膜」の表現世界を暴露したとすれば、この二つの劇画は、印刷メディアの「虚々実々」を暴露どころか木っ端みじんに爆破してしまいました。
ところで、今ネット系の古書店でいくらになっているのかとのぞいてみたら、あっと驚く1万円がついていました。じつは『桜画報』も持ってるんですが、こっちはなんと1万5千円! ちなみに、どっちも僕のは新品同様でっせ。
赤瀬川源平『追放された野次馬』現代評論社 1972年
追放された

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January 24, 2004

Helmut Newton『Sleepless Night』Congreve 1978年

今日、夕刊を見て驚きました。ヘルムート・ニュートンが自家用車を発進させた直後壁に激突、強打して死亡とあったからです。享年83歳でした。ニュートンの写真を始めて見たのは、70年代の終わり。友人K君と新雑誌を創刊しようと熱くなっていた時です。現代思想とまんがと写真をごった煮にしたポップカルチャーの雑誌。その表紙にK君はニュートンの写真を使いたいと提案したのです。首に矯正用のギブス、右足に包帯を巻いてつえをついて立っているおかっぱの女性。もちろん裸。ヘアヌードが解禁になっていなかった日本では入手困難な写真集に載った一枚でした。オブセッションの塊のような写真を見たいがために非公式のルートで手に入れたのがこの一冊。結局雑誌発行はとん挫して、写真集だけが手元に残りました。
ヘルムート・ニュートンという写真家は、やはり単なるスケベおやじだということがビンビンに伝わってくる、とてもステキな写真集です。なにはともあれ、合掌。
ヘルムート・ニュートン『Sleepless Night』Congreve 1978年
newton

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January 23, 2004

小林健二『ILEM KENJI KOBAYASHI Works 1990-1993』ギャラリー椿

惑星的郷愁。小林健二さんの作品を見ながらいつも思い浮かぶ言葉です。鉱物と粘菌の、電気と細胞の、黄泉と未来の、限りなき往還。そこには遡るべき記憶はすでに蒸発し、未だ形成されていない楼閣がこのうえない懐かしさをともなって佇んでいるのです。忘れてしまった物質の将来。薄板界の痕跡。
ガレリア・キマイラでの始めての個展「UTENA」を見た時の衝撃。現代美術というジャンルを越えて、もっとずっと普遍的なものに触れたような気がしました。それから、ほどなくして小林さんとお話をする機会がやってきました。想像していた以上にピュアな精神をもってらっしゃる方でした。
この本は、1993年ギャラリー椿での個展「封じられた日々」に合わせてつくられた作品集。小林さんが本を出すと必ずお願いすることがあります。サインをもらうことです。この本にもKenjiKobayashiと一緒に僕の名前も記していただきました。
小林健二『ILEM KENJI KOBAYASHI Works 1990-1993』ギャラリー椿
小林健二

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December 16, 2003

イマージュの解剖学

ハンス・ベルメールと呼ぶだけで声が震えてしまいます。四谷シモンの魂のお師匠さんでしたっけ。澁澤龍彦の部屋に飾れていたドイツ少年ももちろん好きですが、やはりお師匠さんの胴体だけの少女にはかないません。
卒論にバタイユを選んだ時、僕の頭の中にあったのはこの少女の姿態でした。「…匂う内側の皮膚は、花をむさぼり食べる。…」
『イマージュの解剖学』河出書房新社1975年
イマージュ

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